アイデアの根

読んだ人に「得した」と思ってもらえるように、普段より一ミリだけ深く考えて書きます。ソーシャル、マーケティング、リサーチ、が主要テーマになる予定です。

「なめらかな社会とその敵」 と 「評価経済社会」

「世界は生成するものであり、あなたは世界に参加しているのである。 (なめらかな社会とその敵 あとがきより)」
 
これからは、お金でなく評価をみんなが求める社会になる。
という岡田斗司夫評価経済社会が話題になって、しばらくたつ。
評価経済社会とは、評価がお金のように価値あるものとして流通する社会のことで、
twitterのフォロワーが100万人いるひとなら1億円を稼ぐのは難しくない。逆に、1億円を持っていてもtwitter のフォロワーを100万人にするのは難しい」 社会のこと。
 
これついては賛否あるが、今後の社会をとらえる「助線として使える」と思う。
 
岡田斗司夫がいうように、評価がお金以上の影響力を持つかどうかは別にして)SNSの浸透で、「評価」の社会的な影響力は確実に高まっている。
相対的に、お金の影響力は低下しているようにみえる。
実際に、評価をお金に換える仕組みである、食べログ、カカクコム、アマゾンは僕たちの生活の深くにインストールされている。
このように、少しずつ少しずつ「つながりが強化」され、「評価の影響力が拡大」する方向へ、社会は変化していくのだろう。
 
 
そう思っていたところで、清水健『なめらかな社会とその敵』を読んだ。
ここには評価経済を実体化して、社会をよりよく変えるためのアイデアが書かれている。
これがおもしろいのだ。
 
清水のなめらかな社会とは、国家と個人がなめらかにつながる社会である!
 
と、言われてもなんのことだかわからないですよね。 そりゃそーだ。
 
よりよい社会をつくるには、一人ひとりのポテンシャルを引き出して、社会全体の知性を高めなければならず、
そのためには、人をとりまく「環境の機能を高める制度、仕組み」が必要である。
それが、社会のつながりを強めた「なめらかな社会」という考え方であり、
伝播投資貨幣PICSY、伝播委任投票システムという制度である、
 
この本の内容を、ものすごくランボー、かつテキトーにまとめると、このようになる。(僕はこういうまとめは得意な方である)
 
内容についていうと、PICSY、伝播委任投票システムのところが紙幅がさかれていて、ここの「精緻なシミュレーション」を評価する人も多いようだ。
しかし、個人的には「よくわからない」というのが正直なところ。
精緻にシミュレーションされているが、「実現可能か」と問われれば、そうは見えない、という感じ。
(難しそうなところを読み飛ばしたせいかもしれないが・・・)
 
ではこの本は読む価値がないのか、と言えばそんなことはないのである!
 
ひとつは、「テクノロジーを使った社会制度の進化」はこれからの重要テーマであり、ここで紹介されている制度は、それを考えていく土台になるから。
 
もうひとつは、筆者もいうように「アクティビストに読まれ」、その背中を押す本だからである。
誤解を恐れずに言えば、PICSYも伝播委任投票システムよりもこの身体を押される感じ、刺激感の方が「はるかに大事」だと思う。
清水健という個人の「長きに渡る思考と行動」に触れることで、読者の頭と身体が触発されるのだ
少なくとも僕は強い刺激を受けた。
 
ここから受け取るべきは、閉塞感が強い時代の中でも社会改革は実現可能だと認識すること。
その改革に対して、半歩でも前に進める具体的行動をとる人間がすぐそばに存在すること。
 
ちょっと精神論的なことを書きましたが、社会変革を可能だと認識することは、
われわれの日々の小さな仕事レベルでも何かを変えることになる、と思う。    ・・・たぶん。
 
 
ちょっと引いた目線でみると、
これからしばらく、「つながり社会化」と「評価経済化」は、緩やかに少しずつ、進んでいくだろう。
だが、ある日、清水が提案するような新制度が導入されると、その進行は急加速する。 そして、それはいつおこってもおかしくないのだ。
 
その時には、「評価」の形態も意味も、今とは変わってしまっているだろう。
具体的なことは、僕ごときにはまったくわからないが、おそらくそれは、WEB上に永久保存されたログによって使ったものになるのであはないだろうか。
アメリカでは、信頼を可視化するためのシステムもいろいろ試行錯誤されているようだし。
 
また、一方、「つながり社会化」にはマイナスの面もある。
 
なめらか、つながり、関係性と言えば聞こえはいい。しかしそれは裏返せばべたべたしたしつこいしがらみでもある。本書は実は閉鎖的で息苦しい村社会(悪い意味で)を電子的に再構築しようとする反動的な試みでもある。(中略) 実際に人々はそんな社会を望んでいるのか? (山形浩生 経済ブログより)
 
ネットというデータを完全に消去できない「永久記録社会」の中で、人の評価が見えるようになることは、一度の失敗も許されない息苦しい社会になりかねない。
「受け取るものがあれば、差し出すものがなくてはならない。(村上春樹 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 より)」のである。
 
まとめると、
これからの社会変化に向けて、僕たちは自分の評価につながる何かをweb上にストックしていった方がよさそう。
それにはリスクもある。ただし、ストックしないことにもリスクがある。
ということ。
当たり前ですけど。
 
 
という認識のもと、このブログは、僕としては比較的ちゃんと書こうと思っている。(この忙しい中、これを書くのに4時間ぐらいかかってます)
 
今日はここまで!
 
tanakata11

 

なめらかな社会とその敵

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評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

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